屏風の歴史

屏風

屏風の〔屏〕の字は〔おおう・ふさぐ・さえぎる〕という意味を持ち、文字通り風よけ、間仕切りとして使われていた。

室内装飾の効果もあり、献上品として重宝された。

日本書紀によると天武天皇 朱鳥元年(686年)に新羅の使者による天皇への献上品の中に金・銀・錦・絹布・薬物とともに屏風も入っている。

中国式の屏風は、衝立状のものを1単位として革の紐によって何扇かを繋げたもので、平安時代になって日本でも盛んに製作されるようになった。

中世には、革紐の部分が和紙の蝶番(ちょうつがい)になり、屏風は前後に折りたため、大きな一枚の画面を作り出すことも可能になった。

屏風の役割〔ハレの場の演出〕

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屋内や屋外へとポータブル性を持ち、必要のないときには折りたたんで収納できる屏風もまた障屏具のひとつである。

貴人や要人の座る場所の後ろに屏風を置くと、たちまち特別な意味を持つ空間ができるのは、現在の金屏風の役割にあきらかである。

〔ハレの場〕の創出という意味でも通じるだろうか。。。

しつらい〔室礼〕

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奈良時代の初め、仏教とともに中国から木造の建築技術が輸入された。

それは寺院の建造を前提とした技術であったようで、それを住居に転用した寝殿造りの内部はお寺のお堂のように柱ばかりが林立した巨大なワンルームとなっていた。

そこで、目的に応じて、さまざまな障壁をつくる道具が必要となった。

大空間を段階的に分割しながら、生活にふさわしい居住空間を作り出す必要があったのである。

いまも使用されることば〔しつらい〕〔室礼〕のことである。